つくばセンター広場の歴史
つくばセンター広場、つくばセンタービル建設の経緯
つくばセンター広場の歴史は浅く、1983年に完成しました。つくば市は、筑波研究学園都市として整備されており、整備前のつくばセンター広場周辺は山林が広がっていました。
ここでは、つくばセンター広場が整備された経緯を紹介します。
つくばセンタービルとつくばセンター広場は、筑波研究学園都市における文化・娯楽・購買等の生活の拠点として建設されました。
筑波研究学園都市は、1969年(昭和44年)に起工式を挙行し、建設が開始されました。
昭和46年に開催された首都圏整備委員会による「筑波研究学園都市の中心築計画に関する調査」において0期建設構想が提案されました。都心地区(現中心市街地)の建設段階計画を1期と2期に分け、その前に0期の段階を考える必要があると提言されました。
「0期段階では何かしらの中心的施設が必要である。」
「購買施設、飲食店、サービス業、臨時保育所などをワンセット用意していく必要がある。更に宿泊施設が必要である。」
「将来とも都市軸の中心的存在になる学園会館と、将来は市民ホールになる部分の床の臨時使用を考えた複合的空間であり、これらと合わせて中央広場と公園の一部を整備する。」
中央ブロック(つくばセンタービルの街区)の計画図
筑波研究学園都市の中心市街地の整備に関する調査報告書(2次)昭和52年10月
つくばセンター広場の設計について
これらを受け、昭和52年に「学園センタービル基本構想懇談会」が設置され、つくばセンタービル及び広場についての具体的計画が検討されました。
懇談会では以下の提案がなされました。
・筑波研究学園都市概成時に充足すべき機能は以下である。
①研究・教育機関及び居住者に対する商業・業務サービス
②研究・教育活動の一環としての集会・会合にかかる機能
③居住者の文化活動にかかる機能
④居住者及び来街者に対する広報機能
⑤来訪者に対する宿泊機能
・上記の機能を一体的に整備する必要があり、学園センタービルとして構想する。
昭和53年には、設計者をプロポーザル方式で選定することを決め、13の建築事務所に提出要項を送付し、プロポーザルを実施しました。審査では「与条件に対する姿勢」や「設計に関わる柔軟性」「設計展開力」「組織力」「プロセスの的確性」などを中心に審査を行いました。
※プロポーザル提出事務所
・梓設計
・磯崎新アトリエ
・大高建築設計事務所
・菊竹清訓建築設計事務所
・久米建築事務所
・黒川紀章建築・都市設計事務所
・佐藤武雄設計事務所
・宅地開発研究所
・東畑建築事務所
・冨家建築事務所
・日建設計
・日本設計事務所
・槇総合計画事務所
最初の審査では6社が選ばれ、最終的に磯崎新アトリエが選定されました。
その後昭和55年3月に建設計画を発表し、4月には工事に着手しました。そして昭和58年6月に竣工・オープンしました。
つくばセンター広場は公共広場ではありますが、L字型をなすセンタービルに抱き込まれた形で建設されたことから、ビルと一体不可分の関係にあります。
つくばセンター広場は、ほぼ中央部、ペデストリアンデッキレベルには、水盤を基壇として、ギリシャ神話にテーマを求めた彫刻(月桂樹に変身したダフネ)が置かれ、北側には一列の滝が配されている。この滝に導かれて広場は、センタービル1階レベルへと沈んでいき、広場(フォーラム)へと接続している。
1階レベルの広場(フォーラム)の形と床の模様は、ローマのカンピドリオ広場からテーマを引用したものである。
ペデストリアンデッキのある2階部分と1階レベルをつなぐ部分には、滝を背にした半円形の野外劇場が設けられている。広場全体がイベントの場として構想されており、特に野外劇場にとフォーラムには、催し物に便利なように、電源の設置、吊り物用フックの配置等の配慮がなされている。
また、広場に多用されている石は、花崗岩であり、筑波山北側に産する真壁と稲田の石で、切り出したままの石をふんだんに使い、彫を深く見せています。
学園センタービル概要パンフレット 昭和55年6月 住宅・都市整備公団
「建築パフォーマンス」1985年6月より
「都市、国家、そして<様式>を問う」磯崎 新
この都市の中心軸上に沈んだ広場をつくり、これをL字型に2棟の建物で囲うことであった。中心の軸線ははるか北にのびて、展望台をかねる高塔(現、松見公園展望台)にまで達する・・この軸線は、コンサートホールのエントランスに重なるが、ここも何ものでも受けずに通り抜けさせる。広場は軸線沿いに引き延ばされて、楕円になる。その西北側にカスケードがつくられ、この落水が中心に吸い込まれる。・・中心が空洞であるという観念をメタフォリカルに示そうとする。この沈んだ楕円型の広場は、ローマのカンピドリオとまったく同じサイズである。・・その床の舗石のパターンが白黒逆転させられる。楕円の広場には階段で下り、その表面を凹にして、中心に流水や雨水を吸い込ませる。
西欧の都市的建築の基本である、トップ、ミドル、ボトムの分割が、立面に借用されている。前面道路と内側のペデストリアンデッキという異なったレベルを複背にもってこれを統合するとしたならば、伝統的に多くの事例をもつ壁の三段構成の方が適切な解に導けると判断されたからである。・・・」